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611 名前:名無し職人 :2006/10/08(日) 00:12:04
幼い頃に両親に捨てられた俺は祖父母の下で育った。祖父母は俺を我が子のように何不自由なく育ててくれたし俺はそんな2人が大好きだった。ホントに大好きだったんだ。
小学校の授業参観日…ヒソヒソ声が聞こえる…「何あのじいちゃんばあちゃん…○○君の親代わりらしいよ…え~嘘…可哀想…」
聞こえていた…俺はそれまで何も違和感なく接していた祖父母を急に恥ずかしくなった…
下校時祖父母は俺を校門で待っていた。 だが何ともいえない恥ずかしさから俺は2人を無視して走って帰った。
祖父母は「思春期なんだよ…○○もこんなしわくちゃが親代わりじゃ辛いよな…」と夜中に話していた。
それから俺は2人と最低限の会話しかしなくなった…いや、最低限の会話もしていなかったかもしれない…
祖母の作る食事には手をつけず俺を養うために始めたパート代を財布からくすねてマックとか弁当ばかり食べていた。
当然気づいているはずだが2人は俺を咎めなかった。
部活の大会で財布を忘れた俺に財布と弁当を届けてくれた祖父…俺は財布だけ奪うように受け取り「婆さんが○○の事を思って一生懸命作ったから」と弁当を渡そうとした手を払って会場に戻った
後ろでこぼれた弁当を片づける祖父に目もくれず…

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817 :名無し職人:2006/10/13(金) 22:47:00
両親は、仲が悪いのだと思っていた。
冷たく見えるぐらい素っ気なかったから。

両親の兄弟姉妹などから、幼なじみで大恋愛だったとか、周りの反対を押しきって結婚したんだとか聞かされても、到底信じられなかった。


母が子宮癌で手術を受けた。
手術の終わる時刻を見計らって病院へ行くと、父が母のベッドの傍に座り、好きな歴史小説を読んでいた。
麻酔から覚醒したのか、母が痛い痛いと呻きだした。
父は即座に小説を閉じ、母の右手を両手で包み込んだ。
『ユミ、大丈夫だよユミ…』
まだ意識が戻りきっていないながらも、父の声に母が反応して答えた。
「タカちゃん…痛いよ…タカちゃん…」

父と母が名前で呼び合うのを聞いたのは、それが初めてで、最後だった。



母の通夜の後、棺の中の母の頬を何度も何度も父は撫でていた。
黙って撫でていた。

ユミ、ユミ…って母に呼びかける父の声が聞こえてくるようで、切なかった。


1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 2007/05/04(金) 20:52:35.40 ID:AAi942OS0
こういう季節がすごく好きだ。

青空に緑が映えてさ、このまま夏までいっちゃいそうな感じの。
別にイベントとかあるわけじゃないんだけど

ちょっと夏みたいな気候でさ、
昼間とか半そででも暑かったりして、
扇風機出そうかなってちょっと迷っちゃったり
コンビニでアイス買っちゃったりとか。

すごいワクワクする。






6 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 2007/05/04(金) 20:53:52.86 ID:CXF1vld8O

あるあるwwwwwwwwwwww
958 おさかなくわえた名無しさん :2006/11/27(月) 14:52:38 ID:oBBAAlP8
先日、母の遺品を整理していたら、
メモや広告の裏に、おもちゃや漫画の題名等が書かれた紙が数枚出てきた。
どうやら小さい頃に私が書いたものらしい。 だが、思い出せない。
するとその中に、「おかあさんのびょうきがよくなりますように。」と書かれた折鶴が出てきた。
「あっ!」 私の記憶がいっきに駆け戻る。

昔の私は遠慮がちの子供だった。
体の弱い妹の看病に付きっきりだった両親に、気を使っていたのかもしれない。
欲しい物があっても、口に出す事はなかった。 そんな気がしていた。
そんな私はいつの頃か、願い事を押入れ上の天井裏に忍ばせるようになったのだ。
私の部屋の押入れから上がれる天井裏は、秘密の場所だった。
よく宝物を隠したものだ。
この願い事を書いた紙切れも、いつか叶うのではないかと隠しておいたものだ。
いや、思い起こせばその願いのほとんどは叶っていたのではないか?

959 おさかなくわえた名無しさん :2006/11/27(月) 14:54:48 ID:oBBAAlP8
そうだ、事の始まりはこの折鶴だ。
幼い頃、母が一度だけ入院した事があった。
その時私が折鶴に願いを託し、天井裏に置いたのだ。 間もなく母は退院した。
偶然なのだろう。 でも私にはドラえもんのポッケのような空間だった。
誕生日やクリスマス前に願い事を天井裏に置いておくと、プレゼントは希望のものだった。
今考えるとカラクリは単純だ、赤面モノである。
両親からの愛情が決して不平等ではなかったのだと、改めて感謝する。

ふと、あの天井裏が懐かしくなった。 30年ぶりだろうか、懐中電灯を片手に昇ってみた。
もう、そこには何も無い、深い埃だけが時の経過を教えてくれた。
しばらく思いに耽り、降りようとしたとき、それは視界に入った。
やや新しいお菓子の空き箱が梁の上に置いてある。
私はそれを手に取り下に降りた。
蓋を開けると、十数羽の折鶴が収められていた。 そこには、

「○○(私)の怪我が早く良くなりますように。」

「○○が希望大学に無事合格出来ますように。」

「○○の希望通りの仕事に就けますように。」

「○美(妹)の手術が無事済みますように。 助けて下さい。」

「○美の赤ちゃんが無事生まれますように。」

母の願いは全て叶ったようだ。

795 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2006/07/19(水) 19:41:22 ID:/eu+KOWI0
 一年前、俺の親父が死んだ。


 という話で泣いたと言うのが良くあるが、俺は泣かなかった。


 俺は北海道で漁師をやってる。
 ガキの頃から親の手伝いをして骨の髄まで漁師仕事は叩き込まれた。
 すげー厳しい親父だった。
 どんくらい厳しいかってもう漫画の世界。
 ゲンコツなんて毎日のように食らってた。
 そのゲンコツのお陰で今も美味いメシ食わして貰ってる。


 その親父は6年前の冬に胃癌で死んだ。
 やつれて別人みたいだったけど、中身は厳しいまんまだった。
 苦しいだろうに弱音の一つも吐かねーの。
 遺言は「船は任せたからな」だった。


 親父が死んだってのを実感したのは船の上。
 仕事始める時の馬鹿でかい掛け声が聞こえなくて「あぁ、いないんだな」って思った。
 代わりに自分で叫んでみたら思いの外気持ち良くて今まで損してた気分だった。


 俺は今漁師をやってる。
 別に泣く事なんか何も無いよなぁ、親父。

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